2013年6月26日水曜日

日本建築史⑬_まとめ

近年の建築史の問題を見てみると、
赤字が正答枝(×)、問題コードの前の「」は新問題。
H13
 13251 日光東照宮社殿 本殿と拝殿の間を石の間でつなぐ 権現造り
13252 西本願寺飛雲閣 住宅風の軽快で奇抜な意匠
13253 姫路城 小丘を利用した平山城 優美な外観
13254 厳島神社 宮島の海浜に立地 自然美と人工美が調和
 13255 出雲大社本殿 正面片側の柱間が入口の非対称な形式 中門造り

H14
14241 パルテノン神殿 エンタシスのある柱 ドリス式
14242 薬師寺東塔 三手先組物 裳階付三重塔
 14243 ノートルダム大聖堂 双塔形式の正面 初期ゴシック
 14244 浄土寺浄土堂 蝦紅梁 禅宗様
14245 アルハンブラ宮殿 イスラム式 中庭 アーケード 塔

H15 西洋建築史

H16
16251 農家 南部曲り家 馬を家の中で飼える
16252 商家 今西家 表通りに面し方側が土間で置くに座敷を設ける
16253 塔頭 茶室 如庵は建仁寺内に織田有楽斎が建立
 16254 公家 別荘 桂離宮
 16255 武士 書院造り 二条城二の丸御殿の白書院、黒書院 平面図東三条殿…^^;

H17
日本の歴史的な建築物に関する次の記述のうち、最も不適当なものはどれか。
17241 光浄院客殿・・・・・「匠明」の「主殿の図」とほぼ同じ
17242 法隆寺東院伝法堂・・桁行7件(移建前は5件)橘夫人の邸宅の一屋を移建
17243 竜吟庵方丈・・・・・東福寺塔頭で現存最古のもの
17244 三仏寺投入堂・・・・三仏寺の奥院、懸造り
17245 新薬師寺本堂・・・・一重、寄棟造り、前面一間を吹放し

H18
神社の形式とその一般的な特徴との組合せとして、最も不適当なものは、次のうちどれか。
 18251 神妙造り 切妻造り、平入り、堀立柱、棟持柱、四周に高欄付きの縁
 18252 大社造り 切妻造り、平入り、前殿と後殿とを連結、屋根の谷に陸樋
18253 住吉造り 切妻造り、妻入り、前後に外陣・内陣、回り縁・高欄はない
18254 春日造り 切妻造り、妻入り、丹塗り、土台を設ける
 18255 権現造り 拝殿と本殿を相の間で連結、相の間の屋根は両下り

H19
歴史的な建築物に関する次の記述のうち、最も不適当なものはどれか。
 19241 浄土寺浄土堂・・・・・・紅梁と束で屋根を支える構造の大仏様
 19242 鹿苑寺金閣・・・・・・・方形造りの舎利殿
19243 伊勢神宮内宮正殿・・・・式年遷宮
 19244 アルハンブラ宮殿・・・・イスラム式、中庭・アーケード・塔
 19245 サン・ピエトロ大聖堂・・双塔形式の正面にバラ窓

H20 西洋近代建築史

H21 出題なし

H22 
日本の歴史的な建築様式とその特徴の組合せとして。最も不適当なものは、次のうちどれか。
 22021 神明造り・・・・・・堅魚木、千木
 22022 天竺用(大仏様)・・詰組み 
 22023 唐様(禅宗様)・・・火灯窓
 22024 寝殿造り・・・・・・対屋

「建築様式又は芸術様式」と「建築作品(建築家)」との組合せとして、最も不適当なものは、次のうちどれか。

 22031 ルネサンス建築・・・・フィレンツェ大聖堂(ブルネレスキ)
22032 バロック建築・・・・・バシリカ・パラディアーナ(パラディオ)
 22033 アール・ヌーヴォー・・タッセル邸(オルタ)
 22034 国際様式・・・・・・・レイクショアドライブ・アパートメント(ミース)

H23
ヨーロッパの歴史的建造物とその建築様式に関する次の記述のうち、最も不適当なものはどれか。
23021 ヴォルムス大聖堂・・・二重内陣、三廊式・・・・バロック建築
23022 ピサ大聖堂・・・・・・ラテン十字形プラン・・・ロマネスク建築
23023 アミアン大聖堂・・・・三廊式・・・・・・・・・ゴシック建築
23024 サン・マルコ大聖堂・・ギリシア十字形プラン・・ビザンチン建築

H24 出題なし

H25 やはり今年は・・?

試験委員は毎年かわるのか、何年か続けるのかわかりませんが、フツーの感覚をしていれば過去問を参考にして無難な問題を作成すると思う。

意欲に溢れて新問つくっても、おそらく低い正答率になって知識があるのか勘がいいのか判断できない<マテ
もっとも「勘」は現場監督さんには必要な素養なのかもしれませんが…^^;
試験を受ける側としては、
士法12条に、(試験の内容)は設計及び工事監理に必要な知識及び技能について行う
と定められているので、とりあえずおおまかなことを理解しておけばいいのだと思います。
さらっと見た感じでは、正答枝は過去問の方が多そうです。
細かなことは一部の方を除いて勘の勝負、闇雲に暗記しても出るのは1問です。

計画科目の出題は全部で20問、どこで点をとっても同じなので、簡単な問題が出たときに差がつかないようにしておくくらいで、いい結果が出ると思います…^^;


【追記】

pdfファイル作成しました(ファイル名:「日本建築史」A4、19ページ、35.2MB)
外部ストレージ(firestorage)においてあります。
必要な方はDLして下さい(7/1まで保管)

ダウンロードURLhttp://xfs.jp/Cj6Nw (短縮URL)
短縮URLはリンクされています。どちらも同じものです。

日本建築史⑫_住宅建築(図版3)

茶室は出たことあるものだけ。
妙喜庵茶室(待庵)・・二畳隅炉
千利休の茶室として確証のあるものはないのですが、待庵は現存する草案茶室として最古のものであり、利休の好みの現れている唯一のものといわれています。
妙喜庵茶室 待庵
如庵・・二畳半大目
織田有楽斎が再興した正伝院の茶室。
ちなみに織田有楽斎(織田長益)は、信長の弟で利休に茶道を学んでいます。
如庵
大徳寺孤篷庵忘筌・・十二畳
利休の没後、茶の湯が大名によって継承され、茶室も草庵風から書院風へと変わっていきました。そのような書院茶室の完成した例として孤篷庵忘筌があげられます。
弧篷庵茶室 忘筌


唐突ですが姫路城
姫路城

民家
寺内町
今西家住宅
南部曲り家
旧菊池家住宅
合掌造り
旧大戸屋住宅

日本建築史⑪_住宅建築(図版2)

寝殿造り→書院造りという流れの中でのいくつかの事例。
何となくでそういう流れの中の事例なんだなくらいでいいと思います。

慈照寺東宮堂
足利義政の隠居所(山荘)として計画された東山殿(義政の死後慈照寺となる)
銀閣は北山殿の金閣(舎利殿)と同じ系統の観音殿。
持仏堂である東求堂(とうぐどう)の四畳半は同仁斎と呼ばれ、付書院と棚があります。
慈照寺東求堂

竜吟庵方丈
塔頭の性格の変化に伴ってその建築も変化していきますが、現存する方丈の大部分は変化後の姿を示しています。応仁の乱以前の古制を残す例として竜吟庵方丈があります。部分的に寝殿造りの要素も認められます。
竜吟庵方丈

光浄院客殿
上座の間に床、棚、帳台構(ちょうだいかまえ)を設け、脇に付く二畳の上段には床、書院を設けています。一方で正面車寄せになる中門廊は、寝殿造りの中門廊の退化した姿をとどめています。
光浄院客殿

「匠明・殿屋集」の図
「匠明」は幕府大棟梁の平内(へいのうち)家の木割りの秘伝書です。そのうちの殿屋集に、武家住宅の典型として示されている図が上の光浄院客殿に酷似しています。
標準的な武家の住宅の形式を示す基準として描かれたものと考えられています。
匠明・殿屋集 昔主殿の図

本願寺飛雲閣
本願寺の伽藍の中のは「亭」と呼ぶ建築があり遊興や仏事に使用されます。飛雲閣はそのような亭の遺構と考えられます。
本願寺飛雲閣

2013年6月25日火曜日

日本建築史⑩_住宅建築(図版1)

東三条殿(寝殿造り)と二条城二の丸御殿(書院造り)と桂離宮(数寄屋風)
いずれもピンのものです。細部はどうでも(庭と建物との)配置の違いがわかればいいと思います。

東三条殿
平安時代の藤原氏の居宅です。
東三条殿 復元平面図

二条城二の丸御殿
徳川家康の上洛時の居館として造営されたもの。
二条城二の丸御殿
右下の行幸御殿は後水尾上皇の行幸用御殿。移築解体されたので現在はありません。
ちなみに、
大広間・・将軍の公式の謁見所
黒書院・・うちわの客に会う対面所
白書院・・将軍の居間
です。
*寺家(cf.本願寺)の白書院は、表向きの座敷で対面所の背後の数室(控えの間)で正式の書院になります。
なお、黒(黒漆)、白(白木)は仕上げの色のことです。

桂離宮
八条宮の離宮です。
桂離宮
広大な敷地の中にあります。
桂離宮 配置図



日本建築史⑨_住宅建築(用語)

住宅建築関係の用語

渡殿 わたどの 「わたりどの」ともいう。渡り廊下に同じ。

中門 ちゅーもん 表門の次にある門。寝殿造時代の宮殿に在ては正殿の東西にある長廊            下の中へ開きたる切通しを中門といひたり。

釣殿 つりどの 池辺に造りたる亭をいふ。

方形造 ほうぎょうづくり 四方の隅棟一箇所に集れる屋根に云ふ。隅棟の会する所には露盤              其他の飾あり。之を宝形造とも書く。屋根の伏図は正方形をなす。

附書院 つけじょいん 床の間脇なる窓付きの所にして其の棚板は机の代用となし得らるるもの           なり。

押板 おしいた 古昔は造り付けにあらざる台にして硯、短冊、等を置くに用いたるものなり。

唐破風 からはふ 唐門の図にある破風の如く下半の上は凹曲線をなし上半のは凸曲線をなす          ものなり。

代目畳 だいめだたみ 略して代目ともいふ。普通の畳長の四分の三なるものをいふ。余りの            四分の一は板敷となし又は炉を切り置くものとす。古昔田地一丁に付            四分の一を納税したるを代目と井浸るより起れる名称。

火燈口 かとーぐち 茶室の勝手通口(かよひくち)の上方曲線形なる場合にその通口をかく           称す。

通口 かよひぐち 茶室に於て勝手へ出入する口をいふ。故に「勝手口」の称あり。若其造り方         洞火燈(ほらかとー)ならば之を「火燈口」といふ。

叉首 さす 昔は図に示したる如く丸太などを交叉したる合掌形のものをいいたるならん。農家      の茅葺屋根の丸太合掌を叉首といひ居るは其の名残ならん。





日本建築史⑧_住宅建築

過去問は、
問題コードが赤字のものは×問です。簡単に解説をつけておきます。詳しくは合格物語へ。

寝殿造り
寝殿造りの遺構は残ってないので、東三条殿(藤原氏の居宅)復元平面図くらい。何だか中学校の社会の問題?みたいです。
05255
「渡殿」と「書院造り」とは,建築要素と建築様式の組合せとして正しい
(渡殿は寝殿造りの建築要素
05254
「中門廊」と「寝殿造り」とは,建築要素と建築様式の組合せとして正しい
22024
「寝殿造り」の特徴として,寝殿の左右や後ろに造られた独立の住屋は,対屋と呼ばれ,渡殿で連結されている

書院造り
書院造りが徐々に成立していく過程はあるのですが、
室町時代の金閣(北山)・銀閣(東山)が源流で二条城二の丸御殿で完成。
そこに茶室の数寄屋風が加味されて桂離宮の新御殿(桂棚がある)などもつくられるようになったということくらい。
個々の事例は過去問の範囲でいいかと思います。

11251
金閣は足利義満が造営した北山殿の一部であり,最上層を禅宗様仏堂の形式とし第2層に和様仏堂風・初層に住宅風の建築様式を用いている
19242
鹿苑寺金閣(京都市)は,方形造りの舎利殿で,最上層を禅宗様仏堂風,二層を和様仏堂風,初層を住宅風とした三層の建築物である 
11253
金閣や銀閣は,敷地の南側の庭や池を「コの字型」に囲んだ寝殿造の建築物のうち,釣殿が残ったものである
(金閣は舎利殿、銀閣は観音殿、いずれも楼閣建築
11254
金閣や銀閣が建てられた時代には,能楽・茶の湯・生け花・連歌・水墨画.・枯山水の庭園といった日本の伝統文化がその形を整え,建築にも大きな影響を与えた
11255
金閣や銀閣が建てられた時代には,武家住宅に床の間・違い棚・付書院などの座敷飾りが用いられるようになり,書院造が発展し今日の和風住宅の原型が形成された.
04252
慈照寺東求堂の同仁斎は,四畳半茶室の起源といわれる
11252
銀閣と同じ敷地に建つ東求堂(とうぐどう)の同仁斎(どうじんさい)は,現存する最も古い違い棚と付書院をもつ「四畳半」である
17243
竜吟庵方丈は,東福寺の塔頭であり,現存する最古の方丈といわれている
17241
光浄院客殿の平面は,「匠明」の殿屋集に描かれている「主殿の図」とほぼ同じであり,桃山時代の標準的な武家の住宅の形式を示すものと考えられている
04255
二条城二の丸殿舎の黒書院には,押板床・違棚・付書院をもつ上段の間がある
16255
江戸時代における居住施設に関して,武士の住居には,主として,書院造りが用いられ,二条城二の丸御殿の白書院,黒書院等はその代表例である
(問題文の平面図は東三条殿(寝殿造り)の復元平面図
13252
西本願寺飛雲閣(京都府)は,外観,内部ともに住宅風に造られており,軽快で奇抜な意匠が施されている

茶室
09252
妙喜庵待庵は,小堀遠州作の書院茶室である
待庵は千利休作と伝えられる草案風茶室、小堀遠州作の書院風茶室は弧篷庵忘筌
 ってる利休れる遠州 H25語呂大賞:by wo-maw
16253
江戸時代における居住施設に関して,寺院の塔頭等においては,茶室を設ける場合があり,如庵は,京都の建仁寺内に織田有楽斎が建立したとされる
04254
大徳寺の孤蓬庵忘筌は,小堀遠州作の茶室である

数寄屋
09253
桂離宮は,江戸時代に造営された数奇屋造りの代表例である
16254
江戸時代における居住施設に関して,公家の社会においては,王朝文化を反映した別荘等が造営され,桂離宮はその代表例である


オマケで城郭
13253
姫路城(兵庫県)は,小丘を巧みに利用して構築された平山城で,優美な外観が特徴である
(日本人の)常識の範囲の問題かな。(→参照日本建築史②_神社建築)

民家
08251
江戸時代に建設された岐阜県白川村の民家は,合掌造りとよばれる
10253
1995年に世界遺産に登録された白川郷・五箇山の合掌造りの集落においては,周辺の耕地や山林を含めた範囲を指定することにより,全体としての環境保存が図られている
16251
江戸時代における居住施設に関して,農家は,地方により架構や平面が異なり,東北地方の南部曲り家においては,馬を家の中で飼育できるようになっている
16252
江戸時代における居住施設に関して,商家は,町家の一つであり,今西家(橿原市今井町)のように,表通りに面し,片側が土間で奥に座敷を設けたものがある

民家はいろいろありますが、出たのは白川郷の合掌造り、これは知っているかどうかだけの常識問題。
民家の形式を問われたものは南部曲り家(農家)と今西家(商家)のみ。
16251の図は(たぶん)遠野の旧菊池家・・南部曲り家
平面形式としては一般的な長方形平面の直屋(すごや)であった主屋にうまやをL字型に突出して接続させたもの。雪国(秋田・山形・新潟〜会津)の中門造と見た目は似ていますが、曲り家の突出部はうまやで出入口は入隅部にあります。
今西家は今井町(寺内町(じないちょう)として成立)惣年寄の家で、今井町は「重要伝統的建造物群保存地区」にもなっていますが知らないとどうにもならない。
ただ、こういうもの(新問)は正答枝(×問)にはなりにくい気もします。

2013年6月24日月曜日

日本建築史⑦_寺院建築(図版)

組物の違い、
・和洋(柱の上に組物が乗る)
・大仏様(挿肘木を使う)
・禅宗様(詰組)
は、一度見ておけばわかると思う。

古代寺院の細部意匠は出題されたことはないと思うのでチラ見でいいと思います。

薬師寺東塔
薬師寺東塔
法隆寺東院伝法堂
法隆寺東院伝法堂
新薬師寺本堂
前面一間を吹放しというのは唐招提寺金堂の前面(エンタシスの柱が並んだところ)のようなものをいいます。
新薬師寺本堂
三仏寺投入堂(試験的には)オマケだと思う。


上記古代寺院の技術的伝統との異質さがわかればオッケイかな。
大仏様
・貫で軸組みを固めて長押は使わない
・組物は挿肘木
・軒は一軒(ひとのき)(地垂木だけ、和様では屋根に反りをつけるために軒先に飛檐垂木(ひえんだるき)を使いますが、大仏様では軒反りをつけない)
・垂木は隅だけ扇垂木(隅扇)
・化粧屋根裏として天井を張らない
浄土寺浄土堂
浄土寺浄土堂
↑柱間が等間隔というのも異例です。
製図用紙で設計したのか^^;;;

東大寺南大門
東大寺南大門

禅宗様

・基壇の上に立ち、床を張らない
蝦紅梁を用いる
組物は詰組
垂木は扇垂木
外陣は化粧屋根裏、内陣は鏡天井
・装飾的な要素(繰型)が多い

円覚寺舎利殿
実物は小さく上に高いプロポーションです。


円覚寺舎利殿
円覚寺舎利殿 扇垂木