2013年6月26日水曜日

日本建築史⑪_住宅建築(図版2)

寝殿造り→書院造りという流れの中でのいくつかの事例。
何となくでそういう流れの中の事例なんだなくらいでいいと思います。

慈照寺東宮堂
足利義政の隠居所(山荘)として計画された東山殿(義政の死後慈照寺となる)
銀閣は北山殿の金閣(舎利殿)と同じ系統の観音殿。
持仏堂である東求堂(とうぐどう)の四畳半は同仁斎と呼ばれ、付書院と棚があります。
慈照寺東求堂

竜吟庵方丈
塔頭の性格の変化に伴ってその建築も変化していきますが、現存する方丈の大部分は変化後の姿を示しています。応仁の乱以前の古制を残す例として竜吟庵方丈があります。部分的に寝殿造りの要素も認められます。
竜吟庵方丈

光浄院客殿
上座の間に床、棚、帳台構(ちょうだいかまえ)を設け、脇に付く二畳の上段には床、書院を設けています。一方で正面車寄せになる中門廊は、寝殿造りの中門廊の退化した姿をとどめています。
光浄院客殿

「匠明・殿屋集」の図
「匠明」は幕府大棟梁の平内(へいのうち)家の木割りの秘伝書です。そのうちの殿屋集に、武家住宅の典型として示されている図が上の光浄院客殿に酷似しています。
標準的な武家の住宅の形式を示す基準として描かれたものと考えられています。
匠明・殿屋集 昔主殿の図

本願寺飛雲閣
本願寺の伽藍の中のは「亭」と呼ぶ建築があり遊興や仏事に使用されます。飛雲閣はそのような亭の遺構と考えられます。
本願寺飛雲閣

4 件のコメント:

  1. こんにちは。
    同仁斎って、一つの建物じゃなくて、普通にただの和室だったんですね…(ー ー;)
    離れの棟とかになってるもんだとばかり思ってました(^◇^;)

    ためになる解説、計画満点の足がかりにさせていただきます!

    返信削除
    返信
    1. こんにちは。
      カーちゃん‘sのwo-mawサンも、

      >ありゃ!『同仁斎』って、ただの『ひと部屋』!?<ソンナコトイウ?
      
>3LDKの その他「3」のうちの「1」?<マダイウカ?

      >いやー。シラナカッタ!!

      >(茶室ファンの方からケリが飛んでくるのが見えます)

      と言っていた…^^;
      デキル女子の共通理解ナノダロウカ?

      計画満点、何だかわくわくします((o(^-^)o))
      的中するという評判のウラ模試②(通称「タナボタ」模試?)も始まりますね。
      後1カ月、待ちきれないかもしれませんがいい準備して製図に進んで下さい。

      削除
    2. COLOさんへ
      計画満点狙いがたまらなくウラヤマシイデス。
      わたしもあやかりたい。
      得て不得手を上手に管理(?)して
      一緒に試験突破しましょう!!

      ここのことろよく思うのですが、
      もしよろしければ、COLOさんのところにも
      一般人(?)がコメント残せるように設定
      していただけると、コメントできるですが・・。
      今の状態ではどう残せばいいのかわからなくて・・。

      削除
    3. wo-mawさん。こんにちは。
      COLOです。
      あやかるとベテランになっちゃいますから…(┯_┯)

      人様のブログで返信、失礼しますf^_^;)
      なんか、設定が間違ってたみたい?で。
      ブロガー初心者なもので…
      設定変えてみたので、ぜひコメントお願いします(#^.^#)

      削除